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 背後からの声に振り返って、シューティーは瞠目する。  オーキド・シゲル、今回のシニアトーナメントで優勝候補とされていた一人だ。傍らには墨を溶かしたような漆黒の体毛と、輝く月に似た模様を持つポケモン、ブラッキーが控えている。ポケモン研究の権威オーキド博士の孫は、彼自身もトレーナーから研究者に転向して以降、緻密なフィールドワークに基づく生態学を始めとする多様な分野で頭角を現している。知性的で端正な容貌の爽やかな好青年――とくれば女性が放っておくはずもなく、ポケウッドの大物俳優も顔負けな人気である、らしい。シューティー自身はオーキド博士の名前は当然知っていても自分と同年代の優秀な孫の存在については全く知らなかったため、全て即席で調べた情報である。 「ピッカ!」  ピカチュウが嬉しそうな声を上げると、ブラッキーが応じた。さらに視線を上げて、シゲルにも笑顔を向けている。可愛らしい外見とは裏腹に人間には懐きにくい、というのが森や草むらに生息する電気タイプの小型ポケモンの定説だが、どうやらこのピカチュウは随分人馴れしているようだった。足元に走り寄ったピカチュウのために膝を折って、彼は息を吐いた。 「今のバトルを見てて、もしかしてと思ったんだ。無事で安心したよ」  彼が頭を撫でると、ピカチュウは嬉しそうに円らな瞳を細めて「チャァ」と鳴いた。 「どうやら君もあいつと一緒じゃないようだね」 「ピカピカ」  ピカチュウは視線を下げ、落ち込んだ声音で応じた。どうやらシゲルとこのピカチュウとの間では「あいつ」と呼称される存在についての共通認識があるようだ。シューティーにも、それが誰なのか、なんとなく分かってしまうようになった。 「それで――サトシのピカチュウと一緒にいる君は、いったい誰なのかな」  にっこりと笑顔で告げられた言葉に、シューティーは呻き声を漏らした。
***
 喫茶スペースに大きく設けられた窓からは、ピカチュウとリザードン、そしてゴウカザルの三体がはしゃぎ回っているのが見える。一見共通点はないポケモンたちなのだが、気の置けない雰囲気が見る者にまで感じられる光景だ。  世の女性たちを一瞬で骨抜きにしてしまいそうな爽やか笑顔で有無を言わさず連行されたのはワールドトーナメント施設内のポケモンセンターだった。シゲルはどこかへ電話を掛けながらジョーイさんからモンスターボールを一つ受け取り、喫茶スペースの一角を陣取った。宿泊スペースに続く通路から間もなく現れたのは、シゲルと優勝を争っている筈のシンオウリーグの覇者、シンジだった。  シンジはピカチュウを見ると、一つ息を吐いた。呆れているようにも、どこか安堵のそれにも似ていた。  喫茶スペースに設けられたドアから敷地内のフィールドに出ると、シゲルはリザードンを、シンジはゴウカザルをボールから出す。ピカチュウは軽々とリザードンの身体を駆け上がり、肩の辺りで片手を上げて挨拶する。リザードンがそれに応えると、ピカチュウは器用にゴウカザルの肩に飛び乗って、ハイタッチを交わす。旧交を温め合っているらしい三体とは打って変わって、室内に戻った三人の間に流れるのは何とも言えない緊張感だ。 「無理やり連れてきてしまって悪いね。リザードンがピカチュウのことを心配していたものだから、早く会わせてあげたくて」  にこり、と笑って口火を切ったのはシゲルだった。 「カノコタウンのシューティー君、だっけ? 僕はオーキド・シゲル、ポケモン研究をしてる」  こちらは、というシゲルの声に「トバリシティのシンジだ」と短い自己紹介が続く。知ってます、という言葉を呑み込んで、シューティーは言葉を探す。 「お二人は、友人なんですか」  直後、シゲルは目をまん丸く見開き、シンジは口元を歪めた。 「いや……どうなんだろう」 「……ライバルの、ライバルだ」 「はあ……」  微妙に気まずい沈黙がテーブルを支配する。空気を換えるようにシゲルが咳払いして、説明を始めた。    数日前に、突然ポケモンマスターのポケモンが全て他者に預けられたこと。ポケモンマスターと連絡を取ろうにも音信不通で、イッシュ地方の空港より以後、消息が分からないこと。ポケモンマスターが唯一連れていたピカチュウも行方不明だったこと。シゲルやシンジを含めた人間が捜索を行っていること。 「正直言って手がかりは皆無だった。それでワールドトーナメントを利用したんだ。ボールの登録者を書き換えた奴なら、きっと行動を起こすと踏んでね」  肩を竦めたシゲルの動作はどこか白々しい。 「……言っておきますけど、僕があのピカチュウに会ったのは本当に今日が初めてなんです」  困惑しつつも、シューティーは弁明した。不思議な雰囲気の青年に預けられたなどという話は、そうすんなりと信じられるものではないだろう。ポケモンマスターのポケモンを自分のものにするためならば手段を選ばない、そんな輩は掃いて捨てるほどいると聞いたことがある。  しかしシゲルはあっさりと「そうだろうね」とシューティーの言を認めた。 「君の説明にピカチュウが特に反論しなかったし」  リザードンとゴウカザルとの親交を十分に温めあって戻ってきたピカチュウが、ソファの上で「チャァ」と鳴いた。  あんまりと言えばあんまりな理由に、シューティーは僅かに眉を顰めた。何か言い掛けたところで、ピピピ、と甲高い音が制止した。それぞれが自身の通信機器を確認する。  「あぁ……」と少々間延びした声を発したのは、シューティーだった。所有するポケモンのリストが更新されている。一番上にピカチュウが載っていた。 『メールが添付されています。展開しますか』  続いて『ナビゲーター』が告げた機会音声に、シゲルとシンジが目を見開いた。どうやら二人には無かったものらしい。  メールを開くと、映し出されたのは長い黒髪が特徴的な少女のホログラムだった。タンクトップにスカート、ななめ掛けの機能的な布バッグに少し緩めの靴下とスニーカーと明るい色合いの服装のどこをとっても快活少女そのものだ。幼い印象が強いが良く見なくても整って、愛嬌のある顔立ちをしている。 『このモンスターボールを拾ってくれた方へ』  精巧なホログラムを用いたビデオメールは、抽象的な誰かへ宛てた言葉で始まった。 『ちょっとした事情でボールを手放さなければならなくなってしまいました。少しの間、このボールを預かっていて下さい』  柔らかく細められた瞳と、落ち着いた声で、淡々と話す姿に既視感が拭えない。  いつの間にか机に上がってホログラムをじっと見つめていたピカチュウが「ピカピ」と鳴いた。当然、ホログラムは、ピカチュウに目を向けることなく、ふつりと消えた。  シューティーは驚愕も露わに呟いた。 「なんで……『ナビゲーター』が……?」
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