3-2
 どうやらピカチュウのボールは、登録上の所有者はシューティーで間違いがないらしい。登録者情報にくっきりと表示されているのはシューティーのトレーナーIDだ。交番ではシューティーがピカチュウを捨てようとしていると勘違いされてジュンサーさんに厳しい表情でトレーナーがポケモンに対して負う義務と責任について諭されてしまった。  すみませんお騒がせしました何でもないですとなぜか謝罪を重ねながら仕方なく交番を後にしたシューティーは、ホドモエワールドトーナメントのメイン会場に近い広場に行ってみることにした。元はと言えばトーナメントの参加者に用があるようなないような状況のせいでここまで来たのだ。  今日は試合があるわけでもないのに、広場はトレーナーを始めとしてトーナメントの観客や観光客といった大勢の人で賑わっている。ポケモンを出しておくのは危険と判断し、シューティーはジャノビーをモンスターボールに戻す。ピカチュウも、と思ってシューティーがボールを掲げると、ピカチュウは自身に向けて伸びる光を放電で打ち返した。どうやら本当にモンスターボールに入るのが嫌らしく、この時は頑として言うことを聞かなかった。「迷子にならないように」と言い含めると、ピカチュウは大人しくシューティーの半歩後ろを付いてきた。広場を半ば過ぎたところで、ピカチュウが急に立ち止まる。何かと思って足元を見遣れば、ピカチュウは耳と尻尾をぴんと伸ばして、きらきらした瞳で一点を見詰めている――りんご飴の屋台だ。  数分後の広場の一角、シューティーの隣ではピカチュウがりんご飴を口いっぱいに頬張っていた。半分ほど食べ終わって、輝く円らな瞳がシューティーを見上げている。シューティーが眉根を寄せて「……言っとくけど、二個目はなしだからな」と釘を差すと、ピカチュウは両手の中のりんご飴を眺めて溜息を吐いた。少しだけコミカルな仕草は『ナビゲーター』を思い出させて、シューティーはそれとなく視線を逸らした。  広場には情報通だという男がいた。世界中のトレーナーに詳しい、と豪語する黒服の男に、シューティーは優勝候補とされている二人について知っていることはないかと尋ねた。 「シゲルは確かオーキド博士の孫なんだよな! シンジはどこかの地方大会での優勝者だ! まあ俺はどっちが勝っても興味ないけどな」  シューティーは閉口した。世に出るスピードが勝負のニュース記事でももう少し実のある情報と考察が書いてあるだろう。今日のトップニュースは確か、サンヨウシティの名物レストランの臨時休業が延長されたとか、そんな話だった。どっこいどっこいだ。そういえばシューティーがサンヨウシティに立ち寄った際も休業していた。以前はジムを兼営していたらしく、バトル施設もあるというのでシューティーは残念に思ったが、『ナビゲーター』の落ち込みようが酷かったことを思い出す。  あの時は、バトルが観戦できなくて不満なのかと思ったが……。 「ちなみに、ポケモンマスターについては何か知ってるかい?」 「サトシ様か! カロスリーグで優勝したかと思うと僅か二年でポケモンマスターの座にまで上り詰めたまさに奇跡の体現者! もちろんバトルも強いけど、ポケモンに対する愛情の深さはそれ以上なんだよな! 俺はサトシ様をゲットしたいぜ!」  この男の頭は大丈夫か、と少々失礼なことを思いつつ聞いているシューティーの足元で、何やらバチバチと電気の迸るような不穏な音が聞こえた。視線を向けるとピカチュウが臨戦態勢だ。 「いきなりどうしたんだ、落ち着きなよ!」  びくびくと震え始めた黒服の男はこの際置いておき、ピカチュウを宥めようと膝を折る。 「君のピカチュウ、やる気満々って感じだな! なあ、俺とバトルしないか?」  何を勘違いしたのか見ず知らずのトレーナーに声を掛けられ、シューティーが答えあぐねている間に「ピッカ!」と肯定を示すような鳴き声が上がった。シューティーが訂正する前に通りがかりの少年が審判を申し出、見物人までぞろぞろと集まってきる。こうなってしまうと後には退けない。周囲の目を盗んで技構成を素早く調べることはできたが、バトルの準備でできたのはそれくらいだ。こんなことで勝率を下げたくはないが、一対一では後続で挽回することも不可能だ。  フィールドでピカチュウと相対するのはコジョンド。どこか優雅な囲気を漂わせているものの、スピードもパワーも申し分ない。ピカチュウのような小柄なポケモンが技の直撃を食らえばダメージは致命的と言っていいだろう。 「試合開始!」 「電光石火!」 「猫騙し!」  三者三様の声が響いたのはほぼ同時だ。ピカチュウが地面を蹴って、コジョンドの腹部に突っ込んでいく。待ち構えていたコジョンドは寸前でひらりと身を躱し、ピカチュウの眼前で両手を打ち鳴らそうとする。しかし大きく方向を変えたピカチュウが、硬化させた尻尾に回転の勢いを乗せてコジョンドを弾き飛ばした。  シューティーは一瞬、呆然とその光景を見守った。  猫騙しが決まればピカチュウには僅かでも隙が生まれる。それを避けるために、電光石火の不安定な態勢からアイアンテールを繰り出したのだろう。  充分なダメージにはならなかったのか、コジョンドは既に次の攻撃のために間合いを詰めようとしていた。 「まずい……! コジョンドから距離を取れ!」  シューティーが出した指示に従い後退したピカチュウは、さらに追ってくるコジョンドを電撃で牽制する。 「コジョンド! ストーンエッジだ!」  トレーナーの声に間髪置かず、コジョンドの周囲に現れた岩石がピカチュウに降り注ぐ。 「電光石火で躱すんだ!」  フィールドを駆けていたピカチュウがぐんとその速度を増した。無数の岩がピカチュウには掠りもせずに地面に激突していく。土煙の中を、ピカチュウはまっすぐにコジョンドに向かって疾走する。 「ピカチュウ!? だめだ、迂闊に近付いちゃ――」 「跳び膝蹴り」  冷静な技の指示を受けて、コジョンドが跳び上がる。  シューティーは歯噛みした。跳び膝蹴りは高く跳躍することで、落下の勢いを蹴り技の威力に乗せて攻撃する。強力だが大振りな分、距離があれば軌道を掴んで避けることも可能で、技を外した際のダメージも期待できた。  だが、あの至近距離ではコジョンドが技を外すなど万に一つもないだろう。  ピカチュウはスピードを落とすことなく疾走を続け、地面に突き刺さったままの巨石を駆け上る。先端まで来ると尻尾をばねのように利用し、空中に身を躍らせる。高く高く跳んだピカチュウは、コジョンドの掲げられた右膝に前足を掛けると、身の内に溜めた電気を爆発させた。  コジョンドの肢体は為す術なく地面に落ち、対してピカチュウはくるりと一回転して危なげなく着地した。 「コジョンド戦闘不能、ピカチュウの勝ち!」  審判の声が響き渡り、周囲に歓声が沸き立つ。相手のトレーナーはコジョンドをボールに戻し、労いの言葉を掛けている。ピカチュウは自らシューティーの許まで戻ってきた。 「凄いな、君のピカチュウ。少し見くびってたよ」  コジョンドのトレーナーは、負けたにも関わらず苦笑しながらシューティーに声を掛けた。 「え? あ、ああ……君のコジョンドも」 「はは、ありがとな」  その後も二言三言、言葉を交わしたような気がするが、はっきり言って上の空だった。  凄い、だって? それどころの話じゃない。通常、ポケモンの育成は体力や技の威力、スピードの向上を目指して行われる。事実、相手のコジョンドはそういった点においてかなり高い水準にいた。ピカチュウが特異なのは、相手の技に対する対処、繰り出す技の判断といったポケモンバトルにおいてトレーナーが担うべき役割をもこなしていたことだ。シューティーの指示も聞いていたが、勝敗を決したのはピカチュウの判断によるところが大きく、相手トレーナーも翻弄されていたのだ。  トレーナー以上に戦略的な思考がポケモンに可能ならば、トレーナーなど――。 「君、ちょっといいかな?」  背後から声がして、シューティーの思考は中断された。
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