3-1
 ホドモエシティはイッシュ地方有数の港町であり、物流の要となっている。数年前までは冷凍コンテナが立ち並び雑然とした景観だったが、再開発が進み現在ではイッシュの玄関口に恥じない洗練された印象を受ける。ポケモンワールドトーナメントができたこともあり、観光客が増加し発展を続けている。  ライモンシティを素通りし、ありとあらゆる交通機関を用いた強行軍の結果、試合の前日にホドモエシティに到着してしまったシューティーは、昼下がりの陽光を反射してきらきらと輝く海面を眺めて溜息を吐いた。隣でジャノビーが首を傾げるので、大丈夫だと頷いておいた。  準決勝戦は明日だ。シューティーの『ナビゲーター』が消えた理由の一端を担うかもしれない優勝候補者たちに会える可能性があるとすれば、その前後だけ――なのだが、名だたるエリートトレーナーに何と声を掛ければいいのだろう。僕の『ナビゲーター』があなたのニュースを残していなくなったんです、何か知りませんか、などという新人トレーナーの発言は知らないの一言で一蹴されてしまいそうだ。自分ならそうする。  どうしたものか、と頭を悩ませていたシューティーの足元に、硬質な音を立てて何かが当たった。思わず視線を下げればポピュラーな赤と白のツートーンカラーに、黄色いギザギザのマークがついている。 「モンスターボール? 一体誰の……」  拾い上げて、開閉ボタンを押す。ぱかりとボールが開くが、ポケモンが現れることはない。どうやら空のボールだったようだ。  しかし問題はそこではない。  モンスターボールは購入時にトレーナーIDを登録する必要がある。正式な所有者か所有権代行者でなければ開閉ボタンが反応せず、ポケモンの出し入れが不可能となるのだ。近年のポケモンを利用した犯罪の増加に伴って義務付けられた機能であり、ポケモンが自ら出入りすること自体は制限されない。家族や友人関係にあっても気軽なポケモンやモンスターボールの貸し借りができなくなってしまったことで一部のトレーナーからは不満があるらしい。シューティーに言わせれば自分のポケモンは自分で育てるものであって貸し借りするものではないし、モンスターボールを切らすなんて基本がなっていない証拠だ。  ともかく、所有者でなければ開閉ボタンは作動しない。シューティーは善良な一般市民として登録情報を見てボールをしかるべき持ち主の許へと届けようと考えただけであり、開けるつもりなどなかったのだ。 「ピカピカ、チュウ?」  鳴き声にはっとして視線を上げる。黄色い体躯に先端が黒色の長い耳、赤い頬が特徴的な小型のポケモンが、シューティーを見上げている。『ナビゲーター』が一押しだと言っていた電気タイプのピカチュウである。以前ほどは珍しくなくなったが、やはりイッシュで見かけることは稀だ。 「ピカチュウ、ボール見付かったかい?」  声と共に、路地の暗がりから青年が現れた。帽子の下の緩く波打つ新緑色の髪や端正な顔立ちはそれだけで目を惹くだろう。モノトーンで揃えられた服装や個性的なアクセサリーも違和感なく身に付けている。しかし、青年の纏う雰囲気は幼稚なようでも老練なようでもあって、どこか俗世から切り離されたような印象を受ける。会ったことは無いはずだが、どこかで見たことがある気がした。  青年に答えるようにピカチュウが鳴いた。そこで青年は視線を上げ、シューティーの手の中のボールを見た。そのまま視点は上がり、シューティーの顔を一瞥してから傍らのジャノビーへと目を向けた。ジャノビーは青年を見上げていたが、ピカチュウの呼ぶような鳴き声に応じるように鳴いた。 「……あなたの、ですか」  この場合、モンスターボールとポケモンとどちらの所有権を聞くべきなのか迷った挙句、曖昧な聞き方になってしまった。ジャノビーとピカチュウを眺めていた青年は、再びシューティーをちらりと見てから視線を戻した。 「ピカチュウは僕のトモダチだけど、そのモンスターボールのことなら、答えは否だ。本来の持ち主から預かっていたんだけど、君が開けたのなら君に託そうと僕は思う。ジャノビーによれば君は面倒見の良い努力家のトレーナーらしいし、彼女も君を気に入っているみたいだ。ピカチュウもそれでいいと言っている」 「は?」  早口で捲し立てられ半分ほども理解できなかったシューティーの口から間の抜けた声が漏れた。大丈夫なんだろうかこの人、色んな意味で。そんな心配をするシューティーが聴講の準備をする間もなく、彼の口が開いてしまった。 「ピカチュウはモンスターボールに入るのが嫌いなんだ。よろしく頼むよ。じゃあね、またお話ししよう」  ピカチュウとジャノビーが片手を挙げて返事をするように鳴く。青年は微笑んで、ピカチュウに柔らかく囁いた。 ――きっとサトシに会えるよ  そして、青年はシューティーには目もくれずに踵を返す。 「ちょっと、待っ……!」  青年を追いかけて路地に入る。倉庫と倉庫の間の隘路には日差しもろくに差し込まず、シューティーは積み上げられた木箱やドラム缶に苦戦しながら路地を進む。ジャノビーには先に行くよう指示を出す。ジャノビーと、そしてシューティーについて来たのか青年を追って来たのかピカチュウとは苦も無く路地を駆けていった。  ようやく視界が開けた場所に出た。狭く暗い路地のことなど誰も気に留めることのない大通りで、どうやらトーナメント会場に近いらしく人の行き来も激しい。ジャノビーとピカチュウは揃ってシューティーを見ると首を横に振る動作を示した。  あの青年の姿は、どこにも見当たらない。
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